TAAC「かわりのない」~替えのきかないものはあるけれど、不変なものはどこにもない

荒井敦くんが木村電伝兵衛以外を演じているところが観てみたくて、急に思い立って観に行くことにした。

 

ソワレだったので、劇場内の焼肉くささに空腹感を刺激された。

冒頭、主人公の刑事夫婦がガム食べながら寝ないほうがいいみたいなだるい会話をし出して、正直、失敗したかもな~とやや後悔した。夫婦のディスコミュニケーションというか、ぎこちなさがあまりに居心地悪くて、帰りたい…って思った。

場面は変わり、別の夫婦の取調場面になる。夫婦は子供を難病で亡くしており、○○ちゃんを救う会のような募金活動をしていた。目標金額までわずかというところで我が子はなくなってしまったが、引き続き募金活動を続けることにして、ついに数億もの目標金額に到達した。

ここからがあり得ないくらい面白い。この場面の、「募金活動をしている間はあの子がまだ生きているような気がしたんです」のような一言であったり、「手術費用も円安で、昔は3億だったのがもっとかかる。あの頃、より円高だったなら間に合ったのかもしれない」みたいな一言が面白くて、ぐっと引き込まれた。

また、この募金詐欺で取り調べを受けていると思われていたが、夫婦も観客も勘違いしており、それとは別の「子供の死亡事故」について調べを受けていたのだった。

このワンシーンの最後に別の謎やワードが提示され、その次の場面でそれを明らかにし、また次の気になる点が出てくる…という話の展開が面白い。

また、冒頭の居心地の悪い会話がじわじわ効いてくる。はじめは、主人公の刑事がなにかはっきりしない人だな~と感じた。言いよどんだり、核心をついたことを言えなくて、ずっとまごまごしている。しまいには「何笑ってるんですか?」などと怒られてしまう。

でも、最後登場人物たちに向けた言葉が、なんというか、この事件を通じて彼自身がわかってほしかったことなんだなと思った。そのことが解るのは、場面としてその後のことになるんだけど、彼はいま、小さかった頃の彼の代弁をしてあげているのかもしれないな。ずっと言い淀んだり、いやあ…みたいな態度をとり続けているのは、ずっとそのことを表面化できなかったんだろうなという感慨につながって、冒頭のぎこちない会話がここにきてじわじわと効いてくる。

 

最後に、取り調べをしていた彼自身もまた、子供時代父親にアパートに置き去りにされたことを語る。そのアパートはいま目の前で取り壊されており、開場後にずっと聞こえてきた工事の音はこれだったんだな、ということを悟った。

 

タイトルである「かわりのない」は、「代わりのない」とか「変わりのない」と変換できると思うんだけど、確かにここに出てきたわが子のことや、壊されていくアパートに取り残された思い出なんかは替えの利かないもので、失った斎にどのように喪失感を埋めたらいいのかなとか、その空虚って人生をかけても果たして癒すことはできるのかしらって思う。

と同時に、不変のものはこの世に存在しない(それも悲しいことである)。いつか、この人達の空虚や喪失が埋まることはなかったとしても、マシ、とか大丈夫になっていったらいいなと願ってしまう。